考えると調べるは違う。調べることが考えることではない理由
フリーランスエンジニアの @nabeemichi です。
仕事で新規のプロジェクトに関わることが多い。
新規プロジェクトは未知のことが多い。
新規なので、どうやってやるのか?どうしたらできるのか?謎なことが多い。
そうなると、やらなきゃならないことは調査して、自分たちの目的を達成するにはどうすべきかを考えることだ。
でも、仕事をしていく中で気になることがあった。
それは、 調べることが考えること と思ってる人が沢山いることだ。
調べた答えを使えば仕事が終わると思っている。
僕の考えは、それ失敗するでしょ。それはググっただけだ。
調べることは楽だ。答えを探すだけでいいんだ。今はGoogleもあるし
今はインターネットがあるから調べるのなんてすぐにできる。
キーワード入れてEnter押せば、だいたいのことは出てくる。
「僕達はこの開発手法を利用して結果だしました。」
とか
「技術はこれを使ったらいいですよ」
とか。
自分たちの知らないことを誰かが知っていて、すぐに知ることができる状態だ。
そうなると、自分たちがやりたいことに対する答えのようなことがすぐに知れる。
考えなくても、やりたいことがあったら答えのようなものが出てくるのだ。
調べて、答えのようなものに出会ったら、それをそのままやればいい。
自分たちで考える時間も必要ないし、無駄にトライアンドエラーをしなくてもいい。
頭を使わないので、とても楽になる。
調べて見つけた答えは、説明が楽だ。誰かが言っているっていう説明でみんなが納得する
さらに調べて見つけた答えは、みんなが納得しやすい。
成功者がやったことだからだ。
やったことのない自分たちの意見よりも、成功者がやった方法のほうが納得できる。
有名な人が言っていたら、なおさらだ。
やったこともない自分たちが考えた方法で人を納得させるのは、
すべてのことに対して理由をつかなければならない。
人を納得させる為にロジックを作らないといけない。
めちゃめちゃ考えないといけない。
だから、誰かがやって成功を収めてるという説明をするのは、楽だからだ。
一言でいい。
「最近成功したチームがやってる」
これだけで大体の人は納得してしまう。
説明する人は考えなくてもいい。
調べて見つけた答えは責任がなくて楽だ。失敗しても誰かが言っていたという言い訳ができる
失敗したときだって楽だ。
成功したチームは取り入れていた。
調べて答えっぽいことを採用すると決めた人も、責任を押し付けやすい。
僕達は人が足りなかったから、同じことできなかったんだ
という、なんとなくロジックが通っていそうな説明だってできる。
失敗した理由は本当は違うはずなのに。
自分だけで調べて見つけた答えは、考えた錯覚を起こす。自力で探せたからね。
調べただけなのに、答えみたいなものを見つけてしまったら、自分で考えたという錯覚になる。
誰にも聞かず(本当はGoogle先生に聴いているのに)、自分で探し出してしまった。
こうなると、自分の力だけでどうにかできたと思ってもおかしくはない。
この自力でどうにかしたということが、自分で考えたという錯覚にもなる。
頭をつかわず、それっぽいキーワードを入力して得た知識を、
自分の考えた知識にすり替えてしまっているだけなのに。
でも、その答えは僕達が直面している問題に対する答えなのか?
調べて見つけた答えのようなものは、本当に自分たちが抱えている問題なのだろうか?
全く同じなら、そのまま採用すればいい。
先人が経験してくれたことに時間を使っても意味はない。
次の経験と価値を出すことに注力した方がいい。
でもだいたいの場合は、状況がことなる。
成功者がやったときとメンバーが違うし、使える時間も金も違う。
抱えている問題だって違うはずだ。
理由はリソースと自分たちが置かれている現状が同じことなんて同じことはないからだ。
調べて見つけた答えのようなものは、参考であって、本当は僕達の答えではない。
自分たちの現状を把握して、成し遂げたいことをはっきりさせて
成し遂げたいことに対して
何が足りてないのか?
どうすべきであるのか?
現状の僕達のレベルで何をしなければならないのか?
を、調べて見つけた答えのようなものを参考にして考えないといけない。
これをしないから、失敗するんだよ。
パクリだらけのプロジェクトは。
全く同じ問題なんてのは存在しないよ。
現状を観察して、考えないと。それが一番効率的な仕事だったりするんじゃないかな。